昭和寅次郎の昭和レトロブログ

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人の温かさと冷たさを描いた家族の映画!冷房なしで過ごせた昭和の夏映画➀「東京物語」

 

※この記事では映画の結末部分まで触れていますが

映画の鑑賞の妨げにはならないかと

私としては思っています

 

昨年亡くなられた脚本家の山田太一さんは

「シナリオを読んでも半分も分からない

映画を見て下さらなければ」と語っているくらいです

 

本記事を読む、読まないはご自由にどうぞ

 

日本シナリオ作家協会

『日本名作シナリオ選 上巻』参照)

 

暑すぎる!冷房なしで過ごせた昭和が羨ましい!

 

7月から酷暑になって身体にこたえますね…

私はもうこの夏を生き延びられるか

命の危険を感じながら過ごしています

冗談ではなく本気で

 

でも昭和には冷房なしで夏を過ごせた

時代がありました

 

昨年くらいから新聞などで

昔は夏が楽しみだったのに

今では早く過ぎ去って欲しいと思う

という内容の投書が中高年層から

寄せられています

 

ということで今回の映画紹介は題して

「冷房なしで過ごせた昭和の夏映画」!

 

取り上げる映画は映画通の方なら

誰もがご存知であろう世界的な名作

小津安二郎監督の「東京物語

(1953年)です!

 

(映画「東京物語」から笠智衆さん(左)と東山千栄子さん(右)の老夫婦)

 

冷房なしで過ごせた時代の映画?

そんな括りでこの名作を語るな!

と映画通の方からはお叱りを

受けそうですが、名作だと言ったところで

若い方は敬遠しそうですし

何とか興味を持ってもらうには?

と知恵を絞って考えた紹介方法です

どうかご勘弁ください

 

ということで本題に入ります

 

(公開当時のパンフレットの復刻版)

 

(パンフレットの裏面)

 

おおまかなストーリー

 

尾道に住む周吉(笠智衆さん)ととみ

東山千栄子さん)の老夫婦は子どもたちに

会おうと上京することになった

 

途中で大阪では三男の敬三(大坂志郎さん)に

会うこともでき、東京では長男・幸一

山村聰さん)の一家や長女・志げ

杉村春子さん)の夫婦にも、戦死した

次男の昌二の嫁・紀子(原節子さん)も

待っているとのことで老夫婦は

みんなに会うのを心待ちにしていた

 

しかし東京に来てみると

子どもたちは皆それぞれの生活で忙しく

両親を歓迎するのは二の次という状態だった

 

長女の志げには熱海の旅館に行くことを

勧められたが、騒がしくてゆっくりと

くつろげず、子どもたちには少し

親切心に欠けているように思えて

寂しさを感じた

 

しかし次男・昌二の嫁・紀子だけは

東京見物に連れて行ってくれたり

アパートに泊めてくれたりと

仕事がありながらも親切にしてくれた

 

そうして尾道に帰るとまもなく

東京の子どもたちに驚きの電報が届いた

そこに書いてあったのは「ハハキトク」の文字

 

子どもたちは早速尾道へ向かうも

母は帰らぬ人となった

68歳だった

 

そして葬儀が済むと

子どもたちは慌ただしく東京へ

帰るのだった

 

(葬儀の場面で原節子さん(左)と大坂志郎さん(右))

 

映画の感想

➀ドライで静謐な作りが新鮮

 

笠智衆さん演じる旦那さんは

奥さんを亡くしても表情も口調も

終始穏やかなのがとても新鮮に映ります

 

いくらでも湿っぽくお涙頂戴に

なりそうなストーリーなのに

そうは絶対にしないのが小津監督

音楽で悲しみを盛り上げることもしません

 

これが世界でも受ける理由の1つ

ではないかと私は思います

 

映画の用語に「デッドパン」という

人物を無表情で撮る手法があり

代表的なのが海外ではバスター・キートン

日本では北野武監督ですが

小津監督の映画は表情はあるものの

それがあまり変化することがないので

「デッドパン」に近いものを感じます

 

表情だけでなく映画全体が淡々と

作られており、世界にも類を見ない

静謐な小津芸術が最高点に到達した

そんな作品として世界で評価されている

ものと思われます

 

 

②家族の温かさではなくバラバラになる物語

 

この映画では家族の温かさではなく

バラバラになっていく過程が描かれます

 

老夫婦が上京してもあまり親切に

迎えてもらえずに邪険とまではいかなくても

温かさはそれほど感じられない

上京となりました

 

母が尾道で亡くなっても

葬儀が終わると皆それぞれ

慌ただしく東京へ帰っていきます

 

このような子どもたちの

老夫婦に対する対応について

尾道に住む末の娘の京子は

他人同士でももっと温かいわ

親子ってそんなもんじゃないと思う」と

少し憤ります

 

そんな京子に原節子さん演じる紀子は

大きくなるとだんだん親から

離れていくもんじゃないかしら?

’(中略)

誰だってみんな自分の生活が

一番大事になってくるのよ」と諭します

 

私も初見時は京子と同じ気持ちでしたが

いまでは原節子さんの言うことも

少しわかってきました

 

香川京子さん(右)のメイクアップをする小津監督(左))

 

原節子さんの神々しいまでの美しさに震えた!

 

これは初見時に感じたことなのですが

原節子さんのあまりの美しさに衝撃を受けました

 

その美しさとはお顔立ちだけではありません

言葉遣いや立ち居振る舞いまで含めて

何もかもが美しいのです

 

常に微笑みを湛えたこの映画の原さんは

まるで女神のように思えました

 

この映画が初めて見た昭和の白黒映画でしたが

古き良き美しい日本女性というのに

初めて触れたような気がしました

 

当時は女子から「キモイ、キモイ」と言われ

つらい学生生活を送っていましたが

この映画の原節子さんに女子から受けた傷を

癒してもらえたような気がしました

 

このときから現在までずっと

私は原節子さんのファンです

 

もう15年くらい経ちます

 

(とみ(東山千栄子さん)の肩を揉んであげる原節子さん(右))

 

④うちわや扇子を仰ぐだけで暑さを凌いでいる!

 

これは初見時には気にしませんでしたが

暑さが一段と厳しくなった令和のいまでは

気になるところですね(笑)

 

夏の暑さをうちわや扇子を仰ぐだけで

凌いでいるのです!

 

そしてそのうちわや扇子を

常に持ち歩いています

 

「暑い」と映画のなかでいいながらも

現在から見るとそれほど暑そうではないです

 

縁側があり風通しのいい家づくりなので

厳しい暑さではなかった当時としては

それで十分だったのでしょう

 

何とも羨ましい時代です(笑)

 

(家族団らんのとき)

 

この映画のエピソード

➀映画の成功は共同脚本の野田恒吾さんの功績も大きい!

 

この映画の脚本は小津安二郎監督と

野田恒吾さんが共同で書いているのですが

野田さんの功績も大きいのです

 

というのはこの映画はアメリカ映画

「明日は来らず」(1937年日本公開、

レオ・マッケリー監督)の影響を

受けているのですが、当時小津監督は

戦争に���っており、この映画を見たのは

野田恒吾さんだけでした

 

もし野田さんが見ていなかったら…

と考えると功績の大きさがわかりますね

 

(以下のサイトを参照)

 

soundtrack-of-ozu.info

 

また東山千栄子さんが

イタリアのレストランを訪れたときに

店員から「あなたはあの「東京物語」に

出ていらした女優さんですか?」と

聞かれたというエピソードもあるのですが

肝心の出典元の雑誌が見つかりません(笑)

 

このほかにもエピソードが盛りだくさんの

映画ですが小津監督に関する書籍は

たくさんありますのでもはやこれ以上

ここで書くまでもないという感じですね

 

次回も冷房なしで夏を過ごしている映画を

紹介します(笑)