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『ミッシング』が素晴らしい作品だった件

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※この記事ではあまりネタバレをしないつもりですが、それでもある程度は作品の内容に触れてしまうことになると思います。ややネタバレ気味です。気になる方はご注意ください。

 

 

 

 

𠮷田恵輔監督の『ミッシング』が素晴らしかった。もともと𠮷田監督の作品『ヒメアノ~ル』が好きだったので、だったら最新作も期待できそうだな、くらいの感覚だったのだが、期待以上の内容でいまだにぽーっとしている状態だ。

映画『ミッシング』公式サイト|2024年全国公開

公式サイトを見ると、「心をなくす」という表現を多々見かける。実際に本編中では、失踪した娘を捜し続ける夫妻に対するネットの心ない声などが目につく。だが、そういった目に見えない無責任な人々だけでなく、主人公の沙織里も余裕のなさのあまり、他人に当たり散らしたりと、仕方がないとは言え、自己中心的になっている感があったりもする。

また沙織里の弟・圭吾にしても、失踪した沙織里の娘・美羽を最後に目撃した人物でありながら、当日の話を頑なにしようとしない理由が後に明かされたときに「おいおいおいおい!手前勝手な話じゃないか!」と思ったりもした(とはいえ、私自身が圭吾の立場にあったとしたら、彼と同じ行動を取らないと言えるかと問われれば、黙らざるを得ないのだが)。

他にも沙織里が商店街を歩いていたり、スーパーで買い物をしてたりする際に、その背後で名もなき人々が、やはり手前勝手な理由で他人に当たり散らしている場面が目に入ってきたりもする(スーパーの客がレジのスタッフに「どうしてヤクルト1000がないのよ!?誰かが買い占めてるんじゃないの!?」と詰め寄っているシーンは、妙にリアルだった)。

 

自分自身しか見えない状況では、他者に対する想像力が欠如するし、無理解にもなる。そういうとき、人は他者に対して残酷になったり、心ない言葉を吐いたりするのだろう。

ただ、物語が進むごとに、沙織里に他者に対する慈しみの芽が兆している様が見えてくる。この流れに胸をつかまれた。また、終盤で圭吾が車の中で沙織里に自らの思いを吐露したシーンは、今でも記憶に残っている。先に述べたように、美羽の無事よりも手前勝手な事情を優先していた圭吾が、いつからか美羽という自分ではない存在をきちんと思うようになっていた。その姿が、今思い出しても涙が滲みそうになる。

 

しかし、『ヒメアノ~ル』ではラストシーンの陽だまりが印象的だったが、今回も陽だまりのシーンが効果的に使われていたと思う。『ヒメアノ~ル』の陽だまりは、「虐げられてきた不幸な人間に一瞬だけ存在した、幸せだった時間」という、美しくも哀しいシーンだったのだが、『ミッシング』の陽だまりは微かに見えてきた希望といった感じ。どちらも違った形で記憶に残るシーンだったように思う。

 

あと、もうひとつ。夫の豊について。沙織里が我を見失っている分、豊は現実的な視点からものを見ていたりして、それが逆に妻の怒りを買って罵られるという不憫な役どころだったりする。とはいえ、沙織里に言われるように他人事に考えているわけではなく、ひとりになったときに潤んだ真っ赤な目をしていたりするわけである。なので「これは、豊が感情を爆発させるシーンが来るな」と少々ビビっていたりもした(沙織里と修羅場になるんじゃないかと不安だった)。

で、実際に豊が感情を爆発させる展開はあったのだが、これがとても優しいシーンで、ここもまた数ある好きなシーンのうちのひとつになった。他者のために動いた沙織里により、その他者がまた自分以外の誰かのために動く。そんな中での豊の感情爆発は、本当に美しい流れだったと思う。

 

それにしても、どの役者さんも素晴らしかったのだが、やはり沙織里役の石原さとみさんの演技の素晴らしさには圧倒された。とあるシーン(警察署の中とだけ述べておく)で沙織里が号泣するのだが、見ている間、呼吸ができなかった。「人が壊れる瞬間」が怖いほどに表現されていて、恐怖を覚えるほどの迫力だったのだ(そのシーンで沙織里が着ているトップスに「EVERYTHING WILL BE FINE」と書かれている*1のが、余計に精神的グロさを演出しているという…)。それ以外でも、あの美しい石原さんが、終始疲れ果てて、やつれている感を出しているというのが、やはり役者さんは凄いと思わされる。髪もきちんと(?)ボサボサなのよね…。

 

 

さて、素晴らしかったのでパンフレットも買ったのだが、これがまた凄い。分厚い。コミケなどの同人誌文化に触れている方には「採録同人誌並の分厚さ」と言えばわかってもらえると思う。

出演者や監督インタビュー、プロダクションノートなどは他作品のパンフレットでも収録されているが、さらに『ミッシング』は脚本の決定稿まで載せてくれているのだ。嬉しい。家の中でも『ミッシング』が噛みしめられるじゃないか…。というわけなので、『ミッシング』が気に入った方には、パンフレットも全力でオススメしたい。

 

 

余談。カメラマン・不破という空気が読めず、他者に対する想像力が欠如した人間の象徴みたいなキャラがいる。その空気の読めなさに、沙織里・豊夫婦に感情移入して見ている身としてはイライラさせられたりしたのだが、中盤でその不破くんが不用意なひと言で沙織里をガチ泣きさせてしまう。そのひと言というのが、直前に沙織里が言った言葉に対するツッコミなのだが、ちとギョッとしてしまった。というのも、私も同じことを考えてしまったためである。世代的な事情で、沙織里があの言葉を言った瞬間に、あのメロディーが浮かんできてしまった矢先の不破くんの失言という流れである。ああ、沙織里夫婦に感情移入しているようで、私自身も無責任に彼らを見ていたのだ、と喝破されたような気がしたのだった。

 

 

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*1:沙織里が着ているトップスの文字プリントが場面に合わせてセレクトされているようで、皮肉な意味合いになっていたり、逆に沙織里に寄り添っていたりと、見ていた興味深かった。終盤、他者を慈しむようになった沙織里のトップスには、恐らく「夜明け前が一番暗い」と書かれていたっぽい

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