Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

査定で死にかけた。

賞与支給から一ヶ月。車検と自宅リフォームで使い切り、パワプロの新作も買えず、そんな悲惨な記憶とともに賞与の存在を忘れかけていた今になって、部下からの「賞与の査定について質問があります」の声。なぜ今なの?さっぱり分からないが、話自体は「賞与の額が考えていた金額よりも少ない。査定に不満があります」というシンプルなものであった。評価するものとされるものが100パー満足する完璧な査定なんてものは存在しないけれど、僕は彼の査定に限定すればそこそこ自信があった。なぜなら部下氏は、対象期間におけるすべてのノルマが未達だったから。営業は、結果が明確に数字で出る仕事だ。その点から彼の評価で悩む要素はなく、すごく楽な査定だったのだ。「ノルマ未達」という僕の説明に対して、部下氏は「部長。そんなことはわかっています」と苛立ちを隠さなかった。ならノルマ達成してくれよと怒りのボルテージが上がってきたが、先日受講したアンガーマネジメント研修の内容を思い浮かべてやりすごした。「怒りを覚えたら過去のセイコウ体験を思い出しましょう」という講師の言葉どおりにあの夏の日の素晴らしいセイコウを思い出し一瞬だけスッキリしたのである。

彼は査定方法の変更を求めた。「現在の査定方法では私の潜在能力が計測できない」がその理由。「潜在能力あるの?」と口をついて出てしまいそうになる。部下氏は「潜在期待値」なるワンダーな概念を持ち出した。「本来の能力を発揮した際の最大値の結果」イコール「潜在期待値」という要素を査定に加味してほしいと求めた。つまり、査定に潜在期待値を乗じてもらいたいらしい。なるほどわかった。僕は元来優しい人間。その人の美しい面、ポジティブな点を見つめていたい。僕は彼から「職場の備品を壊さない」「欠勤しない」「定められた年休を消化する」という数少ないポジティブな要素をすくいあげ、甘く見積もった結果、潜在期待値は1だった。「50代後半」「無気力」「7年連続ノルマ未達」という現実をふまえたうえで、部下氏に潜在期待値(1)という魔法のふりかけをかけ、彼が本来の能力を発揮した世界線を想像した。現状と変わらない光景が脳裏に浮かんだ。きっつー。現状に潜在期待値(1)を乗じても変わらないのだ。この悲しい未来予想図を目の前にいる部下に伝えられようか。話題を変えた。賞与はまず会社の業績というものがあり、それに貢献した者の実績に応じて支給されるものであるため、査定に期待値は入れられないと伝えた。彼は「確かに私の期待値を加味したら賞与を支払う原資がなくなってしまいますよね」とポジティブに受け取っていた。きっつー。こういうときアンガーマネジメントの講師は6秒間数えましょうといっていた。怒りのピークは6秒でおさまるらしい。数えた。おさまらなかった。

彼は会社から不当な扱いを受けていると主張しだした。「定額減税は一人あたり4万円だと報道されていました」「ですね」「私も対象になります」「ですね」」「ところが私は定額減税を減らされていました。これはどういうことですか」言っている意味がわからないので沈黙していると「家族一人当たり4万円。しかし私は会社に1万円削られて3万円になっていました。明細にも記されているので証拠はあります。この件についてはすでに人事部に訴えを起こしています」と彼は続けた。被害妄想が強すぎ。人事部の対応を1か月待っていたらしい。定額減税4万円のうち住民税1万円分は6月に徴収されずに7月以降の給与から減税後の額が徴収されるという簡単な話では?つっても彼は「4万円と岸田総理が言ってました」と主張して聞くイヤーを持たず。イヤイヤでイライラしてきた。6秒間数えよう。1、2、3…「どうして」って3秒時点で部下が騒ぎはじめた。怒り消えねえ。

「どうして当社はそんな複雑なやり方をするのですか」「誤魔化すためですよね」「もっと社員にわかりやすく提示するべきではないですか」と詰め寄ってきた。「国が決めたこと」「人事に分かりやすいリーフレットがある」説明を尽くすも「こんなやり方…」と不満を隠さない。なぜ総理の代わりに謝罪を求められているのか。アイムソーリーヒゲソーリーなら何度でも言うけどさ。イライラで胸が苦しくなった。眩暈と頭痛。アンガーコントロール!深呼吸→過呼吸。6秒間カウント→話しかけられて頓挫。セイコウ体験→使い切った。この場を離れる→「最後まで話を聞いてください」。アンガーコントロール手法はまるで役に立たなかった。管理職になってからはこんなクソみたいなことばかりだ。命削っている。こんな上司殺査定地獄(ジョウシコロシアブラノジゴク)を僕は生きている。(所要時間25分)

会社上層部に丸一日マンマークで仕事を観察されて地獄だった。

 会社上層部四天王に一日マンマークされて死にかけた。嫌な予感はしていた。「社員ひとりひとりが経営者意識を持ってほしい。皆さんとは待遇と立場が違うだけで目指す方向性は一緒です」と激ヤバ発言を繰り返していた会社上層部が、方針転換したのだろうね、先日の朝礼で「我々役員も立場と待遇の違いを越えてイチ社員の仕事をすることが大事」と根本的に間違った現場第一主義発言をしていたからだ。社員ひとりひとり経営者意識発言の時点でヤバかったのが、更にダウングレードされた感が凄かった。会社上層部四天王は、金融機関からの出向を経て取締役になっているため、ウチの業界(食品業界)のことを知らない。仕事もわからなければ、コネクションもない。プライドが高いので知ろうともしない。NAI・NAI・60(60代)なのである。

 クソ現場第一主義の一環で、四天王四番目の男、通称四番(ヨンバン)が抜き打ちで僕に密着マークをすることになった。「私に見られて困ることでもあるのかな」と挑発してくるのでカードリーダーで奴のバーコード頭をスキャンしてやりたい衝動にかられた。マンマークをされるとは思ってはいなかったが覚悟を決めた。まずは朝のミニ・ミーティング。営業部メンバーが集まって進捗状況確認と情報共有をしてから、車で出発。なお、四番は背後霊のように無言でミーティングルームの壁に背を預けて立っていた。不気味だった。

午前中は短めの商談を二つ。二つとも新商品サンプルに対する意見のヒアリングと、次四半期の受注に向けてのセールスという通常の営業。後の顧客とは来春始める予定の店舗のプロポーザルの前提条件の不明な点の確認もあった。四番は無知なので無知がバレないようすべてわかっているんだ風の達観した表情を浮かべ、僕と顧客担当者の会話に参加せず、声を発する方向にいちいち顔を向けてうなずいていた。挨拶以外は無言。アホみたいだった。商談をふたつ終えると四番は「よしっ昼休みだ!休憩しよう」と一仕事終えた感を醸し出していた。午前11時半だった。イチ社員の昼休みは12時からである。仕事終わってないよ。午後の仕事に備えて、サンプルを補充するため倉庫に寄る必要があった。「えーっ!」と四番が不満そうな顔をするのを無視して倉庫へゴー。「ボーイスカウトの面倒を見るのはごめんだぜ!」とハリウッド映画みたいな台詞が口をついて出そうだ。つか、本社の近くにあった倉庫を、経費削減で廃止したのはおたくら上層部ですよ。倉庫での積み込み作業も「暑い。暑すぎる」「休憩しないとやっていられん」と文句ばかり言って役に立たないので「休んでいてください」といって休憩を取らせた。

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で、昼休み。「蕎麦屋でも行くか―」と四番がふざけたことを言っているのを無視して、コンビニで「かにパン」を購入して車中でランチを済ませた。四番はデミグラスハンバーグ弁当を買って食べていた。13時にアポがあったので車で移動。「まだ休憩時間は終わっていないぞー」と四番は声をあげていた。いちいちうるさいので「休んでいてください」と言った。午後の商談は2件。新商品サンプルを持ち込んでの提案営業、社会福祉法人本部で8月に実施されるプロポーザル入札の資料受領と打ち合わせ。四番は、午前中同様に薄気味悪い笑みをうかべて、音のする方向に向かって頷いていた。ガストの配達ネコロボットの方が百倍役に立つだろう。

15時。「本日の商談はこれで終わりです」と告げると「充実した一日だった」と四番が言う。「充実」の言葉の意味が僕の世代とは違うようだ。僕はそれを無視して「休んでいてください」と告げ、車中でパソコンを開いてメールを確認。客先と部下からのメールに対応。30分経過。四番は缶コーヒーを飲みながら「休憩、休憩」とつぶやいていた。事務作業が終わったことを告げると休憩していた四番が「休憩をしよう。さすがに働きすぎだ」と言う。それを無視して「市役所へ行って、各福祉課と産業振興課で情報収集をします」と告げた。どれだけ休めば気が済むのだろうか。市役所の駐車場に「休憩」しか言わなくなった四番に「休んでいてください」と言い残して単独でタスクをこなした。16時半。クソ暑いなか駐車場に戻ると、四番はキンキンに冷やした車中で昼寝をしていた。これが上層部の考えたイチ社員の仕事なのだろうか。なめている。

車で本社に戻る途中の車内で四番が「今日は私が来るから特別仕事を詰めたのだろう?」などとアホなことをいうので冷静に「抜き打ちで来られたから細工は出来ませんよ。アポ相手もいるわけですしね。あと、今日の仕事は平均よりやや楽でしたね。通常なら帰社してから提案書や見積書作成をしなければならないので。今日は部下が作成した提案書のチェックとチームの一日の活動を軽くチェックするだけですので、楽ですね」と返しておいた。四番の「どこかでお茶でもして帰ろう」という言葉を無視して会社に帰った。会社でのデスクワークも背後霊のように後ろに立って観察するつもりなのかと恐れていたが、四番とはその日はそれきりだった。

翌日朝、会社上層部が打ち合わせをしていた。四番は僕の仕事ぶりを四天王に報告していたようだ。夕方、四番がやってきて「キミの仕事ぶりを観察させてもらって、キミの仕事ぶりはまだまだ余裕があると報告しておいたよ。サボってはいないが休憩が多すぎる」と言い、次の役員会で問題になるかもしれないね、と警告してきた。嫌な予感は的中した。事実捏造。抜き打ちで仕事をチェックするという既成事実から、営業部長の僕の仕事ぶりに難癖をつけることが目的だったのだ。おそらく、僕が上げた営業部増員のための予算案が、経費削減を掲げる会社上層部の気に召さなかったのだろう。

まさかこんな地獄になるとは。でも僕には地獄の底辺会社員生活をサバイブしてきた経験と悪知恵があった。金融機関の天下り風情にやられてたまるか。「昨日の取締役の視察は終始ICレコーダーで録音させていただきました。私がサボっているか聴いてもらえばわかります。もちろん、私の『取締役は休んでいてください』もばっちり撮れていますよ。次回の幹部会議で参考資料として社長に提出させていただきますねー。いい経験になりましたー」と僕が言うと四番は絶句して死にかけていた。さすが四天王最弱の男だ。その後、会社上層部のなかで「四番がやられたようだな…」「奴は四天王の中でも最弱…」「営業部長に負けるとは上層部の面汚しよ…」というやり取りがなされたのか、僕は知りませーん。(所要時間35分)

ゆとり世代の元同僚のFIRE生活が僕のハートに火をつけました。

(12年前!のエピソード1)

2024年7月某日、猛烈な酷暑下の神奈川県某所。かつて「必要悪」を自称したゆとり世代の元同僚と再会した。会いたくはなかったが、暑さから逃げるように飛び込んだドトールコーヒーショップに並んだら前にいた。で、一緒にお茶をすることになった。ゆとり君は、二人掛けの小さなテーブルの上にハンカチを広げ、そのうえに鞄を置いた。なお、僕の鞄は足もとである。そしてゆとり君は「『カバンはハンカチの上に置きなさい』を知っていますか、課長。表層的な意味ではなくて相手の立場で物事を考えるということですよ」と言った。小さいテーブルの天板の面積の7割強が、ゆとり君鞄に占拠されていた。なぜ薄汚れた鞄の真横のクソ狭いスペースにアイスコーヒーを置かなければならないのか。この状態が、相手(僕)のことを考えているように見えるらしい。重症だ。「立場」の発音がGODIVAっぽいのも気になった。なお、些末だが僕の役職は部長である。

仕事も残っていたし、テーブルは鞄に占拠されて狭えし、早く会社へ戻ろうとアイスコーヒーを速攻で吸っていると、ゆとり君が「課長、俺、FIREしたんですよ」と声をかけてきた。「仕事してないんだ」と話を合わせると「働くことが前提になっている社会に疑問を持ちまして…」などと言う。嫌な予感がビンビンした。帰ろうという意思とは逆に「今、何しているの?」と口が滑ってしまった。するとゆとり君は、はーっ、とワザとらしいため息をつき、「Sorry…」と謝ってから「日本語は論理的な構造が曖昧で嫌になりますね」と言った。こいつは何を言っているんだ。戸惑う僕をよそに彼は「『今』を現時点、『何』を状況とするなら『俺は課長とお茶をしている』が答えになります」と言った。アホだ。

「帰るわ」「もう少し話をしましょうよ。感動の再会じゃないですか」「そんなに日本語の曖昧さが嫌なら英語で質問するよ。『What do you do?』これなら明確だろ」。ゆとり君は悲しそうな表情を浮かべた。まさかとは思いますがこんな簡単なフレーズの意味がわからないのか。おもろー!からかってやろう!と思っていると奥様の言葉が心の中にリフレインした。「キミは相手が弱いところを見せるとストーカーのように執拗に追い続けて攻撃するよね。それキモイよ」。確かによくない傾向、性癖だ。一瞬で反省した僕は「お仕事は?」と日本語訳を伝えた。優しい。ゆとり君は「外資です」と答えた。うん。その回答、微妙にずれているね。何をしているか全然伝わらない。相手の立場になって考えるとは何だったのか。僕は小さなテーブルを占めるハンカチと鞄を見つめて心を整えた。

いやちょっと待て。「あれ。FIREしたって言っていたよね?」「そうなんですよ。貯蓄もないのにFIREしたから大変なんですよ。火の車ですよ」まさか…ゆとり君、FIREの意味を分かっていない?もしかして、ただの無職?まさか炎のシュレンのFIREなのか。いやどちらもFIREではあるけれども。疑念を確かめるべく「ドアーズの『Light My Fire』のFIREか…」と僕が言うと、「課長…またロックですか。相変わらずですね。怒らないでください。これは褒め言葉ですからね」とゆとり君。

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この流れでどう褒め言葉と受け取ればいいのだろうか。テーブルは狭く、僕の鞄は床の上だった。ホメオパシーでもやってろよ。

「じゃあ帰るよ」これ以上接触するとアホが伝染するので僕は帰ることにした。別れ際に名刺を渡した。「課長、うまくやりましたね。部長になったのですね」「たまたま、運に恵まれただけだよ」謙遜しておいた。するとゆとり君は「課長世代は、実力に関係なく、たまたまの運だけで行けましたけど、俺ら世代は実力しか認められないから苦しいですよ」と言った。謙遜がわかなかったみたいだ。相手の知的レベルに合わせられなかった僕が間違っていた。きっつー。この時点で再会して10分。体力と精神力の消耗が激しい。つかお前は今、何をしているんだ?「僕とキミは、同じ時代を生きているから同じだろう。今は誰でも実力と結果がないと厳しいよ」「いや。課長の属する団塊ジュニア世代と俺より下のZ世代は勢いでやってしまいますからね。俺の世代とは違いますよ」話がかみ合わない。ゆとり世代の、競争のない、叱らない教育がこんな怪物を生み、小さなテーブルを鞄で違法占拠するのだ。早く脱出しなければ。さもなければ死ぬ。

「まあFIRE頑張ってよ。よくわからないけど。じゃあ今日はこれで」「実は、息子が12歳になりました」僕は席を立つのをやめてしまう。「そっか」あれから12年か。アホな僕らは何も変わっていないのに。「それでよりを戻して再婚することになりました」「良かったじゃないか」そういえばゆとり君の離婚をすっかり忘れていた。どうでもいいことだから忘れていたけど、実にめでたいことだ。「何がいいんですか?」「えっ」話が見えない。「別れた妻と再婚なんてありえませんよ。新しい彼女と喧嘩して別れていたのですけど、このたびめでたくヨリを戻して再婚することになりましたー。だから養育費はこれからも払わなければいけないのです。いいことなんてありませんよ」知らねーよ。《新しい家庭を築いても養育費免除にならないのはおかしい。一生、幸せになれない》と嘆くアホを見つめながら、こんなことをしているくらいなら、大嫌いな仕事をしていた方がマシだと心の底から思っていた。勘弁してくれ。脳が破壊されそうだ。

「課長の会社は人手不足ですか?」ゆとり君が訊いてきた。嘘をいっても仕方ないので「世間一般の企業と一緒で不足しているよ」と答えた。「紹介してくれませんか」「誰を」「課長の目の前にいる優秀な元営業マンです」おかしいな。僕の目の前にいるのは、一緒に働いていたときノルマを一度も達成したことがなく、素行が悪く、すでに30代後半にはいって若さも可能性もない中年男性だけである。こんな不良品を会社に持って帰ったら会社での立場は危うくなるうえ、最悪、会社自体が木っ端みじんに吹っ飛ぶかもしれない。一瞬で断ることを決めた。「今何をしているのか答えられない人は紹介できない」「経歴はいえませんが、実力と実績で評価してください」ないよ。実力と実績、両方とも。「うーん無理だ」「ですよね。課長には迷惑はおかけしません」おっ。必要悪を自称していたゆとり君も1ミリくらいは成長したみたいだ。1ミリでもマンモスうれぴーよ。

ここで僕が「じゃあ今日はこれで」と話を打ち切ろうとするとゆとり君は執拗に食い下がってきた。「ですから採用担当を紹介してください。課長のような名ばかり管理職ではなく、しっかりとした人事権のある人を紹介していただけたら、あとは自分でやりますから」名ばかり管理職!長年会社員をやってきたけれども名ばかり管理職という蔑称で呼ばれたのははじめてであった。つかれた。残機ゼロ。ヒットポイント切れ。『へんじがないまるでしかばねのようだ』状態。かつて必要悪を自称した男が、ただの頭の悪い男になっていた。「じゃあ追って連絡するから」僕は嘘をついて席を立った。ゆとり君の別れ際の言葉をここに記してこのエピソードを締めさせていただく。「都知事選の結果見ましたか?石丸さん凄かったですね。いつか俺も、彼みたいに選挙に出馬して自己責任のうえで自分を表現してみたいです」(所要時間45分)

アレが硬くなりました。

ストレートな書き方になるが、長年硬くならなかった※ンコが、硬くなった。久しぶりで実感に欠けており、カッチカチの※ンコが自分のものとは思えない。暮れなずむ町の 光と影の中で硬くなっているそれは、藤子不二雄先生が描いたツチノコのようだ。※ンコとツチノコは、海援隊と海綿体よりも遠い。はたして、これは全盛期のカチコチなのか。僕には判断ができない。僕の全盛期を知っている者に客観的な判断を下してもらう必要がある。「これは僕の全盛期かな?」と。※ンコを見せる覚悟はオッケー。これは僕のショーだ。ready  for  my  show!相手のshout  it  out!shout it out! 叫ぶのも想定内。僕は客観的評価を求めて、※ンコを手に妻の元へ向かおうとした。そこではたと気づく。妻は、僕の全盛期ガチガチな※ンコを知らない。突然、茶の間の中心に※ンコを手に現れた夫が「僕の全盛期かーい」とコールアンドレスポンスを求めたら、当惑するだけだ。ガチガチの全盛期を知っているのは、かつて交際していた新興宗教ガールと、町田の変態店に勤務していた嬢だ。しかし、町田の変態店は既になく、宗教ガールは既に人妻だ。宗教青年部の幹部と結ばれ子供が2人。しかし背に腹は変えられない。町田の変態店亡き2024サマー、全盛期を知っているのは彼女しかいない。「何様!」と無碍に扱われる可能性110%。しかし、僕は足の間の※ンコを握り締め、宗教ガールの元へ馳せ参じる��悟を固めつつあった。「これは全盛期の僕かい?」この命題に答えられるのは、宗教ガールしかいない。僕は硬くならなかった時代に失ったものを思い出していた。柔らかいがために諦めてきたアバンチュール、意味深なシャワー、数多のチョメチョメ。いつも僕の脳裏には柔らかいままの※ンコがあり、独裁者のように僕を抑えつけていた。すでに僕の意識は肉体を離れ、※ンコを手に宗教ガールの元へ駆け出していた。十数年前、全盛期のガチガチの※ンコを見せたとき、君は「こんなすごいもの見たことがない」と絶句したよね?今僕が手にしている※ンコはあのとき僕の全盛期のカチカチかい?あの時のように、信仰の言葉をつぶやき、赦しを求める祈りを捧げるかい?すっかり失念していた。宗教ガールとは僕の全盛期※ンコが原因で別れたのだった。「私の教義にそれを受け入れる心の優しさは無い」が捨て台詞であった。ま、冷静になって考えれば、10数年前に別れた男がガチガチの※ンコを手に尋ねてくるのはホラーだ。通報され逮捕され拘置される。ミニスカポリスから「なんでこんなことをしたのか」と問い詰められる。「※ンコがカチカチの全盛期を取り戻したか知りたかったんです」。そんな言い訳は通用しない。なぜ全盛期を取り戻すことに成功したのか。僕は取調室の真ん中で振り返る。規則正しい食生活。薬の処方。適度な運動。ストレスのない環境。レスの夫婦関係。規則正しい食生活、薬の処方、適度な運動、ストレスのない環境、レスの夫婦関係。数多のものを生贄にして正しい生活を送ってきた。引き換えに得られたものが、全盛期を思わせるガチガチの※ンコ。僕は取り調べ中の刑事に頼んでトイレに行かしてもらう。便座に腰をかけたとき、ずいぶん遠くへ来てしまったことに唖然とした。妻の声が聞こえた。トイレの前には見張りの警官がいる。警官は妻の声に気づいていない。妻の声は時空を越えて届いていた。妻は僕を監獄から救うために時空を超えて来た。「何トイレの中でぶつぶつ言ってるの。キモいよ」僕は扉を開けた。目の前に広がる光景は、いつものマンション。振り返ると便器の中にはガチガチに硬い※ンコが潜水艦のように浮かんでいた。10数年間ずっと柔らかかった※ンコ。正しい生活で腸内環境が改善された※ンコ。軟便勘弁。ノーモア下痢が豪雨。宗教ガールと町田の変態店で見せたカッチカチの※ンコだった。ウンコー!僕は生まれたままの姿でトイレを飛び出した。そして僕は、もうひとつの分身がまだ柔らかいままであることを知って泣いた。(所要時間19分)

1999年夏、彼女の生涯最後の小説が、僕を。

七月になれば、きっとまた僕は、彼女の生涯最後の小説を読んだ、あの夏の夜を思い出してしまうだろう。一九九九年の七月、25歳の僕は、駅に直結したビルにある書店の文庫コーナーで彼女と再会した。彼女は二つ上の先輩で、会うのは数年ぶりだった。社交辞令のつもりで連絡先を交換した。数日後、ショートメールが届いた。「原稿用紙四枚の短編を書いてきて。私も書くから」学生時代、僕と先輩は競うように掌編を書いていた。僕らは自分たちに大きな才能がないことに気がつかないふりをして遊んでいた。僕が先輩の好きなディケンズの「大いなる遺産」を「退屈」とこき下ろすと彼女は本気で怒った。「あなたに『大いなる遺産』が書けるの?」と。僕が「書けるけど書かない」というと彼女は笑った。挑戦的な笑みだった。その頃、僕は文章を書いていなかった。才能がないのは分かり切っていたから、人に読ませてもバカにされるだけのゴミを書く気分にはなれなかった。だから困った。先輩はいまさら僕に何を書けというのだろう。才能の無さを思い知らされるのは嫌だった。たくさんだった。でも僕は書いた。書けるものを書いた。彼女が何を企んでいるのか知りたかったのだ。きっちり四枚。千六百字ジャスト。プリンターで印刷。待ち合わせは駅の近くにある古い居酒屋だった。僕らはお互いの小説を交換して読んだ。彼女の小説は巧かった。きっと会っていない数年間も書き続けていたのだろう。努力とかけた時間が感じられた。それに対して僕の書いたものは酷かった。クソだった。何も思いつかなかったので彼女へのラブレターを僕は書いた。原稿用紙四枚、千六百字のラブレター。下心爆裂。「凄いね。こういうの書いてくるとは思わなかった」と彼女は感想を述べた。「私の小説はどうだった?」という彼女の言葉には過剰に真剣さがみられたので「先輩は自分の書きたい小説を書いていると思います」僕は素直な感想を答えた。「それだけ」という彼女の言葉に、僕は返す言葉を見つけられなくて、いや見つけてはいたけどそのまま口にしていいのかわからなくて、生ビールを飲みきることで、時間を稼ぎ、誤魔化し、アルコールのせいになればいいやという投げやりな希望を持ってから、「それだけです」と答えた。先輩は書きたいものを書いていた。残酷だけどそれだけだった。才能のない僕らは、自分の書きたいものを書くという甘えの中で遊んでいた。大人になった僕らはいつまでも子供用のプールにはいられない。彼女は「酷いこと言うね。わかってたよ。うん。諦めがついた。キミは凄いね。人に読ませる小説を書けるようになってる。一人称の恋愛小説なんてさ。努力したでしょ」と言った。いやそれ小説じゃなくて、貴女へのラブレターなんですけど、数年ぶりに書いたんですけど。全然伝わってない。やはり僕には才能はなかった。一九九九年の七月の夜。神奈川の海沿いの町の居酒屋で、僕らは互いの生涯最後の小説をつまみにビールを飲んで才能に見切りをつけようとしていた。「来月、人類は滅びるらしいよ」先輩は言った。ノストラダムスの大予言。それから彼女は「私が物書きになれない世界は滅びてしまえ。私は人類滅亡に賭けるよ。キミは人類生存に賭けなさい」と続けた。「賭けに勝ったら何がもらえるんですか」「書くこと。もし生存ルートなら君は書き続けなさい。私のぶんまで」と彼女は言って笑った。『大いなる遺産』のときの、やれるものならやってみなさいというような挑発的な笑みだった。先輩と会ったのはその夜が最後だ。数か月後、共通の知人から彼女の結婚を知らされた。今は海外で暮らしているらしい。詳しくは知らない。僕は今も書き続けている。才能はないままで、覚醒する気配はない。きっとこのまま覚醒することはないだろう。あの夏の夜、彼女は、僕に託したのだ。私のぶんまで書き続けてよと。そして才能のない者が才能のなさに抗って書き続けてもいいように願いをかけた。すべて、彼女が仕掛けた残酷で幸せな罠だった、25年経った今の僕にはそう思えてならないのだ。(所要時間22分)